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オルガン
今日はヤマハの創業者 山葉寅 楠の話がSNSに流れてきました。自作のオルガンを現在の東京芸大の評価を受けるため、浜松から二人でオルガンを天秤棒で担いで東京まで出かけた話です。詳細が載っているサイトを見てみました。詳細は こちら です。すごい情熱と熱意🔥 先日、徳富蘆花の家でオルガン見たなーと思い、ヤマハ製かなと検索してみましたが、こちらは西川虎吉が横浜で創業した日本最古級の国産リードオルガンだそうです。 西川虎吉さんが亡くなった後は、ヤマハが事業を引き継がれたとの事。お二人は「虎と寅」🐯繋がりですね。 思い出したのですが、娘が同志社大でピアノの発表会をした事があります。同じマンション内に住むピアノの先生が卒業生?か何かの関係者だからのようでした。あと気づいたのが、娘が山川健次郎と同じ誕生日で、八重の桜の撮影が始まったのも同じ日付でした🫢娘は物理学の気配は全くありませんが。また不思議。。 色んな世界からの偶然は、決められた運命をなぞっているというよりは、その時々で色んな形で現れる、思いのかけらのような贈り物なのかも?とも思いました。

紙成鳴美
2月27日


八重の桜
八重の桜、最終回まで進みました🌸 こちらは2003年に撮った京都御所、蛤門から入って北へ進んだ所にある小川です。ちょうど八重桜が写っていたのでアップします。 会津藩の朝敵の汚名を晴らすためにも会津藩の記録を詳細に綴った「京都守護職始末」は山川浩、健次郎によって書かれていたのですね。この記録がなければ八重の桜もなかったかもしれません。 先日の芦花公園の家主、徳富蘆花の兄の 徳富 蘇峰 (とくとみ そほう)は同志社大学を新聞記者になるために中退し、そして國民新聞という新聞社を立ち上げたのですが、最初は平民主義だったのが政府、軍部寄りの御用新聞と転じ弟の徳富蘆花も離れる原因になったそうです。 ドラマでもその兄への反発が「不如帰」を書くきっかけになっていました。八重に新聞の目的を戒められるシーンも。 でも新島八重の Wikipedia には、徳富蘇峰が八重に「私は同志社以来、貴女に対してはまことに済まなかった。しかし新島先生が既に逝かれたからには、今後貴女を先生の形見として取り扱ひますから、貴女もその心持を以て、私につきあつて下さい」と述べ、八重が亡く

紙成鳴美
2月25日


Water🍬
今朝は カバン持ちさせてください! に絵本も出演させて頂いている事を見届け👏✨古河電気工業さんの英気を頂きながら本日は仕事へ。 私の場合はカバン持ちは自分で👜 働いて働いて↑・・・が働けど働けど↓にならないように頑張ります😁 今日はホームに着いた途端、乗りたい電車が入ってしまう現象が続いて4回目でちょっと凹みましたが、これは乗れなかった事に意義があるのでは。。と思った途端、出会いがありました。それはお菓子自販機。 これはあの四角い飴! Water というブログ記事で書いた飴を見つけました。 会社でよく舐めていた、?10年ぶりの再会です❣️

紙成鳴美
2月23日


徳富蘆花の家
今朝の散歩は芦花公園へ。八重の桜🌸にも出てきた徳富蘆花の家へ行ってみました。公園内にあり9時〜無料で誰でも入れます。公園にはよく行きますが、家の展示にはずいぶん前に1度来たきりです。 昔のオルガンや電話も残ってました。 懐かしいというか、私の実家はまだこの鍵です。 お屋敷の向かいにご夫婦のお墓がありました🙏 下記はAI文字起こしをした一部です。 「蘆花は生まれつき真面目で意思強く妥協を排し、世間の動きに左右されることがなかった。また、与えることが多く、愛情をもって人々に接した。文章をつくるにあたっては、さまざまな思いが泉のように湧き出て、つぎつぎと言葉が流れ出るといわれた。蘆花の生涯は、終始白らを偽らず、自分の生前からの願いであった粕谷の恒春園の林の中に葬られた。これは兄徳冨蘇峰によって漢文で書き記され、石碑に刻まれて墓におさめられた。」 ところで「不如帰」という小説で山川捨松さんを結果的に謝らなくてはならないほど悪く描いた理由はなんだろう?と調べてみたのですが、優秀だった兄との確執と思想の対立、庶民の見方であろうという心情が社交界にいた捨松

紙成鳴美
2月22日


お寿司屋さん
今日は苦手な確定申告が終わったので、自分へのご褒美に栄寿司に立ち寄りました。遅めのお昼ご飯です🍣 栄寿司は八重の桜に出演していた西田敏行さんもお気に入りだったと聞いた事がある評判のお店でしたが、なかなか入るきっかけがなかったので意を決して一人で入ってみました。栄寿司さんの近所はオープニングを担当した坂本龍一さんが卒業された中学校もあります🌸 11時〜22時まで営業と書いてあったので、お昼休憩がないのが不思議だったのですが、3時半でも地元の常連さんで賑わってました。おじいさん達がお酒を飲みながら、オリンピックのフィギュアスケートで泣いちゃった話をしていたり盛り上がってました🍶いいですね♪ こちらのオリジナル湯呑みは歴代総理大臣が描かれています。初代伊藤博文さんは、お札のイメージは良かったのですが、八重の桜での伊藤博文はなかなか..。明治維新を見る目が変わりました。。 有名人の方のサイン。そしてテレビには高市首相の施設方針演説が! 湯呑みは安倍晋三さんが最後になってます。これ買えるのですか?と聞いてみたのですが今は販売していないそうです。オリジ

紙成鳴美
2月21日


テレビのお知らせ📢カバン持ちさせてください!
2月21日(土)深夜1時28分より TBS「 カバン持ちさせてください 」 オススメ社員のカバン持ちをさせてもらったら・・・という設定で業界の秘密・会社の秘密・社員の秘密など情報が満載番組との事😄 今週の土曜日は古河電気工業株式会社さんが出演なさいます。 富士通デザインセンターさんと制作させて頂いた古河電気工業さんの仕掛け絵本の ご紹介記事はこちらです 。 2月28日、次回の放送前までTverにて配信されます。皆様もぜひご覧ください!

紙成鳴美
2月21日


徳富蘆花
八重の桜🌸45回まで 若い頃の無理や我慢が表面化する熟年期という感じで、わかるな〜。。というブルーな展開が多いですが、次回の予告に徳富蘆花の名前が‼️ 先日の選挙の帰りのブログにアップした雪景色は徳富蘆花の家があった 蘆花恒春園 (ろかこうしゅんえん)別名芦花公園です。こちらはインスタにもアップした2022年の秋の写真です。木がランプのようでお気に入りです。 46回に詳しく出てくるようですが wikipedia で先回りで読んでしまいました。山本覚馬の娘さんと恋をしたけれど新島襄にも反対されて失恋したとの事。 更には山川家とも関係していて、 『不如帰』という作品により山川捨松が事実無根の悪人に仕立て上げられた事で不幸な目に遭っているのを黙殺しつづけ、1919年に捨松が危篤になる間際にようやく謝罪をした。と書いてあるので事実ならなんという💢 そんな山本家、山川家がらみの人物の家が近くにあるなんてびっくり😨でした。芦花公園内にお墓があるようなので、46回を見た後には感想を伝えに抗議お参りしてみよう。。。 2月22日土曜日の深夜に絵本を制作した事

紙成鳴美
2月20日


芸術は長く人生は短し
八重の桜🌸はオープニング曲が坂本龍一さんです。 以前に坂本龍一さんが亡くなった時に書いたブログ 桜 芸術は長く 人生は短し を思い出しました。ちょうど桜の時期に亡くなっていたのですね。 2013年の作品ですが、その他にも西田敏行さん、松方弘樹さんも亡くなられていて10年の歳月を感じます。 今日は第40回 山本覚馬が市民の推薦で京都の上京区で京都府会議員になり投票で議長にもなりました。戦争で目が見えなく車椅子になっても、志は大勢の方に高く受け入れられていた事は凄い事です。西郷隆盛やその他の方からの特別な支援は人間力そのものだったと思います。志は長く世に残る事を改めて感じる回でした😌

紙成鳴美
2月17日
同志社大学
安定の八重の桜日記🌸38回 志を同じくする結社「同志社大学」はキリスト教精神に基づいているため、京都で設立した時は激しい反対にあったそうで様々な苦労を知りました。 昔の人の立場からしたら反対するのも当然でしょうし、あの状況からよく今日までと驚きました。 会津の「ならぬものは ならぬ」は「よいものは よい」でもあるという八重の考え。それにしても、会津の人達は頑固で一途でやり遂げる力が凄いと思いました。日本の近代化の基礎、京都の後の繁栄には会津の方々の力添えがあったのですね。会津をはじめ福島県には何か秘密がありそうです🌟 今日SNSで「脳内でご先祖様総出のスタンディングオベーションこれをおすすめします。わけわからなくてもやってみて」というのがバズっているのを見かけました。先人の苦労を知ってこそ効果がありそうです👏

紙成鳴美
2月17日


神明社
今日の夕方のお散歩は以前にも書いた祖師ヶ谷神明社さんへ。 靖国神社さんへお参りしたばかりですし、同じく戦没者慰霊碑が隣にあるのでお参り致しました🙏江戸幕府の平和は260年ですが、今はまだ戦後80年と考えると江戸幕府は凄いなと思います。 今日の八重の桜は35回 新島襄が戊辰戦争に傷ついた八重に 「貴方が亡くなった方に語りかければ、きっと答えてくれると思うんです。その声に耳を傾けてみてください」と言うセリフが良かったです😌

紙成鳴美
2月16日
榎本武揚
今日は八重の桜 32回まで🌸 無念にも会津が敗れてしまう鶴ヶ城の戦い。。その後、戊辰戦争は函館の地でも行われるのですが、そこで登場したのが幕府海軍の 榎本武揚 ( えのもと たけあき) 私の叔母の旦那さんは山川家、叔母は伊能忠敬家から繋がる家系ですが、ここで少し繋がります。榎本武揚は伊能忠敬の弟子の次男で浅草生まれ。後に明治時代を支える人物になります。 それにしても山川家はドラマの中で少しの役かと、当初は思っていましたが、がっつり山本家と共に歩んでいるので驚きました。 あと八重と兄の山本覚馬が京都で再会シーンも。山本覚馬の「新政府が捨てたこの都に、武力で押しつぶされない文明の町を作る」という兄の志を受けて、京都での八重の勉強が始まるシーンです。 京都のその頃は戦争の後でかなり荒廃していたとの事なので、今の観光地京都があるのはそういった背景があるのですね。 あと西郷隆盛が一目置いていた山本覚馬に、今の同志社大学のある薩摩藩の土地を覚馬が何かに役立てられるようにと告げるシーンもありました。 戊辰戦争を描く中でも闇雲に行動する事と、情で動く事が全体に

紙成鳴美
2月15日
横浜
とうとう大河ドラマ「八重の桜」 第27回 で登場しました、私のキーワード小松村👏の彼岸獅子。 山川健次郎の兄、山川大蔵が会津の兵を無事に城へ戻すため、お祭りに扮して行進する作戦です。ドラマで見る分には絶対バレそうにも見えるのですが。。史実なので一か八か命を掛けた挑戦だったわけで凄い事です。 突然ですが、明日明後日は私の兄が横浜 みなとみらいホール にて 🔶2月14日 東京海上フィルハーモニックオーケストラ<TEMPO> 第31回定期演奏会 13:30開演(12:50開場)大ホール 🔶2月15日 ヨーゼフ室内管弦楽団 第18回定期演奏会 13:30開演(13:00開場)小ホール 上記、ヴァイオリンとヴィオラで各日演奏します。 親族以外で若い人が聴く機会があった方がいいなーというのもあり、私ではなく娘と息子がそれぞれ、友達と聴きに行きます。お天気も良いようですしご興味のある方がいらっしゃったら情報をチェックの上ぜひ。14日の大ホールの方が余裕があるかもしれません。 横浜繋がりの話ですが、生涯水戸住まいだと思っていた姉が、急に来月に横浜の山下公

紙成鳴美
2月13日


山本覚馬
今日の八重の桜は、 鳥羽・伏見の戦いで八重の兄、 山本覚馬 が薩摩藩に捕まってしまっても牢屋の中で弟子と共に「菅見」が書き上げられた描写のある第24回まで。 目が見えなくなりながらも、日本を案じて自分の中にある知識を役立てようという執念に感動でした。菅見についてはこちらの コラム に考察が詳しく載っています。 山本覚馬の活動を検索していて見つけたのがこちらの方の ブログ 。あれ?この建物見たことあるような・・・と思い調べてみたら私が2024年11月にひかる君への舞台「紫式部邸」へ訪れた時に、とりあえず入っておこうと意味は分からないけど写真だけ撮っておいたものがスマホから出てきました。なので撮り方が雑です。。 京都御所の右側に、紫式部邸と新島八重の住まいは400メートルぐらいしか離れていません。後の大河ドラマの女性主人公が二人が、時代を超えてお住まいになっていた場所なのですね。 この時はあっという間に出てしまったのですが、八重の桜を見終わった後にまたゆっくり見てみたいです🚅

紙成鳴美
2月12日


二条城
大河「八重の桜」視聴も大政奉還へ。こちらは以前に撮った京都二条城です☀️ 大政奉還の舞台です。その舞台となったお部屋など内部は撮影NGなので入り口の写真です。 このような見事な装飾です。 こちらはお庭です。徳川家の残した建物は京都でも見事ですが、江戸は土木でも強いです。日比谷が徳川家康時代に埋めたれられた土地だなんて驚きですし、べらぼうでも見られるようなエンタメ色も強い時代でした。 その後の戦時中の朝ドラや映画の描写をみると、徳川家の時代とはずいぶん日本人のイメージが違うな。。と思っていたのですが、 靖国神社の銅像にもなっている長州藩の大村益次郎が近代日本軍の祖であり、武士の時代から国民皆兵(徴兵制)へ、日本の軍隊を組織的かつ近代的に大改革した」とありました。長州藩が導入した軍制改革が、明治政府の軍制の基礎となったとの事。 八重の桜での長州藩の戦いと日本軍のイメージが重なったのは、繋がるものがあったからなのですね・・・長州藩は吉田松陰もですし色んな面がありますが、今だに徳川家が残した物が愛される理由も分かったような気がします😌 これからの日本

紙成鳴美
2月10日


靖国神社
昨日はお出かけ✨靖国神社へお参りに🙏 靖国神社の歴史について、ふわっとした印象でしか分かっていなかったので、今日改めて調べてみました。 明治維新の翌年1869年(明治2年)に戊辰戦争で戦死した明治新政府側の官軍の兵士たちを慰霊する目的で長州藩出身の大村益次郎が主導し「東京招魂社」として創建され、明治天皇が「国を安(靖)らかにする」という意味を込めて「靖国神社」と改称したことが始まりとの事。世界大戦以前の神社なのですね。 以降、近代日本のあらゆる戦争・事変の戦没者を祀っていますが、旧幕府側の会津藩士などは祭られていません。と書いてあるのですが ちょうど大河ドラマ「八重の桜」で幕府や御所を守るために大きな犠牲となってしまった会津藩目線で視聴中なのでそこは驚きでした。 明治天皇が会津藩を敵視していたのか疑問に思い検索してみると、「個人としては、忠誠心の高い存在としてその誠実さを認めていた、あるいは敬意を抱いていたという見方が強まっています。」と出てきたのでほっとしました。 この後に徳川家で栄えた浅草寺にもお参りしたので🙏念の為に「浅草 会津藩」で検

紙成鳴美
2月9日


022222福沢諭吉
去年、実家からお祝いで頂いたお金です。先ほど開けてみたらなんと!022222! 足すと10になるので、10,000とも繋がっている? 実家に聞いてみた所、知らなかったとの事。 今、山川健次郎の本を読んでいるのですが、同時代を生きた福沢諭吉なので何かの伝言かもとテンション上がりました✨ いや、待てよ。私前にそんな画像をアップしたような・・・と思って過去の写真を調べました。こちらは父と母が1と2の組み合わせの誕生日だからと1と2の組み合わせの新札を発見したのでプレゼントしたお札です。良かった・・・自分があげたお札が戻ってきただけじゃなかった😆こちらのアンサー福沢諭吉お札になりました✨この組み合わせからの22222って凄いかも。 山川家と浅草の関係も本から少しわかりました。健次郎のお兄さんと母と妹の常盤で 浅草永住町の観蔵院一室を借りて住んでいたそうです。マップで調べてみると、なんとべらぼうで鶴太郎さんが演じた 浮世絵師の「鳥山石燕」のお墓の近くでした。羽子板市の帰りに鳥山 石燕のお墓参りはしていたので、 既に近くまで行ってたなあと思いながら見ている

紙成鳴美
2月6日


星座の人 山川健次郎
国立新美術館で昨年作品を展示させて頂きましたが、国立新美術館は元は東京大学の生産技術研究所があった跡地に建てられたそうです。 調べた理由ですが、美術館の隣の青山霊園は山川家のお墓との事だったので、何かの縁だったのかな?と思いまして。今度お墓にお参りに行ってみようと思います🙏 検索には 東京大学物性研究所 と 生産技術研究所 の跡地であったと書かれている方もいたのですが、美術館のサイトに載っていたのは生産技術研究所だけなので違う?ようです。でも物性研究所のサイトや動画も面白く、書かないのも惜しいので動画を貼ってみました。 物質のなかに広がる 無数のメカニズムや現象を解き明かし、 世界の根源を解明する。そんな物性科学者たちの多彩な研究を紹介する動画です。 見ていても正直、わからな過ぎて面白いですね!ハルデン予想・・・でも何となく感覚的にわかるような分からないような。 世間一般的には山川健次郎は物理と大学界隈でしか知名度がないようで、私も知らなかったですしネット以上の事が分からないので、本日、「星座の人 山川健次郎」 著作 星亮一 の本を注文してみま

紙成鳴美
2月4日


鹿鳴館
今日は日比谷へ。日比谷シャンテの2階でランチをしていたのですが、スマホのアンテナは十分なのに、ネットが何をやっても進まずグルグルしているまま・・・電波障害?と思って諦めたのですが、この辺りって山川捨松さんが活躍した鹿鳴館じゃなかった?と思い出し、もしかしてこれは・・・と鹿鳴館と入れて検索したら動き出しました😱この後に新宿へ移動する予定だったのですが、こうなったらとことん付き合おうと思い、鹿鳴館跡地の石碑まで行ってみる事に。 日比谷シャンテを出ると写真の東京ミッドタウン日比谷です。曲線のフォルムが日比谷らしいです。 寒かったので、帝国ホテルの中を通りました。薔薇🌹が見事!帝国ホテルは普段着の人でもそれなりの装いをしている感じに見えてしまうのですよね。あれは照明の妙と建物の重厚感とインテリアの色合いのおかげでしょうか?違和感なく通り過ぎさせて頂きました。 鹿鳴館の石碑はGoogleMapでは帝国ホテルの脇に位置していたようなのですが、現在は大々的に工事中で石碑は中?か移動している様子でした。(見落としているかもですが) こちらは日比谷公園から撮影

紙成鳴美
2月4日


蛤御門の戦い
八重の桜🌸週末には12話目 蛤御門(はまぐりごもん)の戦い まで進みました。 京都在住の時は御所に入る時には必ず通っていた門でした。長州藩と会津藩との激しい戦いが行われた場所だったなんて全く知らなかったですし、そもそも「はまぐり」なんて可愛い名前だったのも知りませんでした。御所内で戦いが行われていたなんて衝撃です💦 それにしても会津から京都へ行くのは新幹線でも大変なのに・・・馬と徒歩で京都を守るために戦ってくれた会津藩は凄いです。そして会津へ戦況を知らせるために何度も馬を走らせていた事も、今のネットの世の中で考えると信じられないです。昔と今とでは気力体力は格段に違いますね。 新撰組も出てくるのですが、京都に住んでいた場所の近所のお寺、妙蓮寺に新撰組の刀傷が柱に残っていたのを思い出して検索してみました。 「蛤御門の戦いの際に長州兵がここに逃げ込み、落ち武者の捜索に訪れた薩摩藩兵(一説には新選組)によって柱に刀痕が残されたといいます。」と こちら に載っていました。あれが蛤御門の時の刀傷だったとは。。 あとは、9〜10話目あたりで「なぎなた」の

紙成鳴美
2月2日
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