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  • 執筆者の写真: 紙成鳴美
    紙成鳴美
  • 5 日前

昨日は仕事で夕方に浅草へ。


浅草ゆかりの文豪と言えば、樋口一葉、川端康成、そして永井荷風という事で、永井荷風がよく食べていた尾張屋のお蕎麦へ立ち寄ってみました。本店に入ったつもりが支店に入ってましたが。。


そして今日はフォローしている和樂マガジンのインスタを見ていたら、こちらの5枚目の写真にウィリアム・K・バートンの撮影した浅草という記事に永井荷風の文字が!


「バートンは外交官だった永井荷風の父・永井久一郎とヨーロッパで知り合ったことがきっかけで、1887(明治20)年に来日。母方の祖父が写真愛好家だったことから、自身も写真を撮り始めたらしい。戊辰戦争で有名な榎本武揚を会長として設立された日本初の写真同好会「日本寫眞会」の創立メンバーにもなっている。この写真の後ろに映っているのは1890(明治23)年に竣工し、バートンが基本設計にも携わった浅草の凌雲閣。」との事。


そして記事中の榎本武楊という覚えがあるお名前・・・前にブログに書いたこちらの榎本武楊でした。


話は変わり、前回のブログに書いた神谷バー創設者の神谷傳兵衛さん。なぜ浅草から牛久のワイン工場に?と考えていて思い出したのが、こちらも以前にブログで書いた東京の東本願寺


ブログを書く時に関連記事などを見ていたところ、牛久大仏を建立したのが浅草の東本願寺と書かれていたのを思い出しました。


神谷傳兵衛と東本願寺の関係を検索してみると、AIの答えでは繋がりがあるのですが肝心の情報源が見当たりません。神谷バーと東本願寺はとても近いですし、同じ牛久という共通点は何かしらありそう??


それにしても浅草周りの文化人達の世界は深すぎて、とても短期間で仕上げる題材ではなさそうな😅
















浅草がテーマに作品を作る必要があって、仕事の合間に文豪と浅草の関係を読んだりしています。ネットで調べてみるだけでも昔の文豪は今のガチガチのコンプライアンスとは真逆すぎて凄いですよ。現代で題材にして大丈夫かな・・・と思う事も。


川端康成の浅草紅団の「水族館」の章には


「浅草は、東京の心臓・・・・。」「浅草は、人間の市場・・・。」添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)の言葉である。


という出だしで始まる文章があるのですが、添田唖蝉坊とはどなた?と思って検索したら演歌師と出てきたのでYouTubeで聞いてみたら、浅草と相性が合いそうな・・・アナーキーな方でした。ご興味がある方はぜひ検索して聞いてみてください。


YouTubeでは「懐かしの浅草2」がおすすめで流れてきまして、細かい歴史まで網羅していて面白かったです。日本最古のBar、文豪に愛された神谷バーの創業者、神谷傳兵衛(かみやでんべい)と説明があったので検索してみたのですが、日本のワイン王で茨城県の牛久シャトーの創業者と同じだったとは知りませんでした。詳しくは牛久シャトーのサイトへ。


所有している美術品668点全てを上野の東京国立博物館へ寄贈したり、故郷の愛知県の鉄道の創業に関わったり、文化事業や慈善事業、災害が起こるたびに救済活動を行い、金穀や衣類、農具を支給したり、神社仏閣、社会公益事業への関心も高く、多くの寄付をしました。と載ってました。牛久シャトーへは1度訪れた事がありますが、そんな視野の広い方だったとは!


私が御朱印を制作させて頂いている市原稲荷神社さんの愛知県刈谷市の礎を作った方でもあるそうで、こちらに専用サイト「傳兵衛クラブ」までありました。トヨタの発展にまで繋がっているとは驚きです。浅草の神谷バー(みかはや銘酒店)名前の通り神✨ってます。


浅草寺はお寺ですが、昔から真逆な歓楽街でもあるのが不思議だったりもします。仏教と欲望が渦を巻いて文豪や実業家が惹かれていたのかもですね😃



  • 執筆者の写真: 紙成鳴美
    紙成鳴美
  • 5月26日

昨日作った紫蘇ジュース。実家でよく作ってもらった味😄やっぱり美味しい。




昨年は実家の柿を沢山もらったので、こんなに沢山切って鍋に入れてジャムにしてみましたが、柿の味がしなくなってびっくり💧柿ジャムが売っていない理由がわかりました。


先日は紅茶ゼリーを作ってみたら同じく味がしなくてびっくり。

コーヒーゼリーはあっても紅茶ゼリーは滅多に見ない理由がわかりました。調べたら紅茶の香りは揮発性なので脂肪分に香りを吸着させるバターやミルクが入るとお菓子になるそうで。


色々とやってみないと分かりませんね😃 




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