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紙成鳴美

市川で思い出したのですが、新社会人入社2年目ぐらいでアメリカ旅行へ行った時、ツアーで仲良くなった子と住所交換したのですが偶然、同じ下総中山駅住まい同志だった事があります。


なので帰国後に一人暮らしをしているアパートまで遊びに行ったのですが、ある会長の秘書室で働いているとの事で、えー凄い!と思った事を覚えてます。


しばらくして駅近くを歩いていたら、同じ短大だった子と行き合いました。顔見知り程度でしたが同じ一人暮らしとの事で意気投合して家に遊びに行ったところ、アメリカで知り合った子の隣の部屋でまた驚き!Bzのファンクラブに入っているからとコンサートに連れて行かれた事が思い出です。


今度は自動車教習所で友達になった子にもバッタリ下総中山で行き合い、びっくりな事に短大の子の隣の部屋でした。


なぜ、立て続けに3人が同じアパートの隣部屋なのか??それぞれは隣人だけど会った事がないまま。


皆私の部屋にも遊びに来てくれましたが、段々とお互い忙しく会わずじまいになってしまい。。今思えばちゃんと3人を紹介し合えば良かった。。


「子」と書いてしまうぐらい昔の出来事ですが、でも明日はちょっともしかして・・・と思う事あり、よけいに思い出しました。結局また夜型⭐️あとちょっと頑張ります💪



紙成鳴美


最近は仕事の追い込みが重なったのと、日中の暑さに負けてかなり夜型になってしまったので、朝型に戻すべく、昨日は運動がてら朝から馬事公園に行ってきました。


当たり前ですが、馬はやっぱり鹿より大きいです。馬を神社さんで放牧したらえらい事になりますね。でも奈良の鹿さんはいつ駆け足しているのでしょう?考えてみたらちょっと不思議です。


2階のレストランが朝からオープンしていたので入ってみたのですが、お客さん、私1人なんですよ。馬が走る前で食事できるのに!なんで皆さん来ないんだろう?と思ったけれど、そういえば私も去年の11月以来、来ていなかった・・・


長野県の真田さんもそうですが、公共的なお店は、何度も広告したり、季節でメニューを変えたり〜フェアをしたりと大勢にリピートしてもらう事より、安定した運営重視なのかも。



1階に馬専門の図書室のようなギャラリーがあるのですが、こちらの「白い馬」が一際目立ってました。とても魅力的な絵なのでよく見てみたら、昭和を代表する日本画家の一人 東山魁夷(ひがしやまかいい)作でした。やっぱり凄い方は光るものですね。


私も住んでいた事のある千葉県市川市にお住まいだったそうですが、立派な記念館が私が住んでいた所から、そう遠くない場所にあったのですね。知らなかったです。



衝撃だったのが、子供の遊具が閉鎖されていた事。熱中症の危険と遊具の熱で火傷をしてしまう恐れがあるためだそうです。今後は熱くならない素材や放熱する素材とかも必要になってきそうです。


朝にのんびりしすぎたせいか、朝方に戻すどころか、結局は仕事が夜中の2時までかかってしまいました。今日こそ早く寝よう😴




紙成鳴美


今日は銀座駅で地下鉄を上ってすぐに号外の新聞を手渡され、先日ご紹介した長野のお店、真田さんのカウンター席に座ったら、日本酒の前のスポニチという組み合わせの、昼間から渋い写真が撮れました。


野球と言えば、高校生の時に友達5人でセーラー服のままバッティングセンターへ行ってアイスを食べて帰る放課後コースが楽しい思い出ですが、野球自体に馴染みはなく・・・大谷選手の凄さが実感として分からないのですが、楽しそうに野球しているのはいつも伝わってきます。


ところで昨日の「結び」のお話の小野照崎神社さん、インスタをよく読んでみたのですが、創建されたのは、上野公園の寛永寺があった場所で、800年後の9月19日、なので昨日ですが、江戸城の鬼門封じとして寛永寺を建てる事になったため入谷へ移転されたそうです。


芸能・芸術・仕事の神様として小野篁(おののたかむら)が祀られているそうで、こちらに詳しく載っているのですが、歌人として百人一首の一句にも選ばれている上に、昼は政務・夜は閻魔様の副官として冥府の裁きを行ったという、あの世とこの世を行き来したという伝説まで。


神社名で検索すると渥美清さんが、小野照崎神社さんへ願掛けをしたところ「男はつらいよ」の仕事が決まったという逸話もありました。


上野の寛永寺と柴又と、芸事とで何かご縁がありそうなので、一度お参りに行ってみようかと思います。




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