八重の桜
- 紙成鳴美

- 5 日前
- 読了時間: 3分

八重の桜、最終回まで進みました🌸
こちらは2003年に撮った京都御所、蛤門から入って北へ進んだ所にある小川です。ちょうど八重桜が写っていたのでアップします。
会津藩の朝敵の汚名を晴らすためにも会津藩の記録を詳細に綴った「京都守護職始末」は山川浩、健次郎によって書かれていたのですね。この記録がなければ八重の桜もなかったかもしれません。
先日の芦花公園の家主、徳富蘆花の兄の徳富 蘇峰(とくとみ そほう)は同志社大学を新聞記者になるために中退し、そして國民新聞という新聞社を立ち上げたのですが、最初は平民主義だったのが政府、軍部寄りの御用新聞と転じ弟の徳富蘆花も離れる原因になったそうです。
ドラマでもその兄への反発が「不如帰」を書くきっかけになっていました。八重に新聞の目的を戒められるシーンも。
でも新島八重のWikipediaには、徳富蘇峰が八重に「私は同志社以来、貴女に対してはまことに済まなかった。しかし新島先生が既に逝かれたからには、今後貴女を先生の形見として取り扱ひますから、貴女もその心持を以て、私につきあつて下さい」と述べ、八重が亡くなるまでその言葉通り面倒を見た事が書かれてありますし、徳富蘆花、弟のお墓に寄せた手紙も優しい文章で心根は悪い人ではなかったようです。
國民新聞があった場所は東京京橋とありました。私が勤めていた会社にもほど近く、その上、弟の家の近くに住んでいる事を考えると、そこに何かあるのかな?と思ってしまいました。
私の山川家の血を引く従姉妹の娘さんは山川健次郎が関わった京都大学で今、学んでますし、もう一人の従姉妹も引っ越した先の隣人が偶然、同じ山川家の血を引く家だったそうです。山川家は今も会津の無念や、未完の仕事をあの世からこの世に送っているのでは?と不思議に思います。
私も何年も前の事ですが、聖母像の夢を見た事があって、その日中にテレビで「今日は聖母マリア様の誕生日です。」と聞こえてきて、私はクリスチャンでもなんでもないのに偶然にしては不思議だなあ・・・と思っていたのですが、もしかして同志社界隈の何か波長?だったのかもしれません。その他、ここには書けないけれど不思議な事があります。
山本覚馬の同志社大学にて聖書の一節を用いながら卒業生へ送るシーンがありました。
「諸君は一国の、いや、世界の良心であってください。いかなる力にも、その知恵であらがい、道を切り拓いてください。それが身をもって戦を知る私の願いです。」
山本家と山川家は東京、京都で多くの人々に学問や考える種を残しました。ちょど今BSで八重の桜が再放送してます。現代にも多くの方に戦争と平和について考えさせるきっかけを作ってくださった事に感謝です🙏 桜🌸が咲く頃に山川家へ、いずれ京都の山本家へもお墓参りをしたいと思います!

