浅草の歴史
- 紙成鳴美

- 2025年12月5日
- 読了時間: 2分

こちらは2017年に撮った時の雷門です。
羽子板市の作品ををあと6点、8日までに作らなくてはならないのですが、ラフを作ってもどうもしっくりこなく・・・和物やお寺の本格的なイラストは、長年その道の方が作られるでしょうし、私はどんな役割で作るのが良いのか、改めて考えてみようと思い浅草の歴史を調べてみました。
浅草の始まりは628年。飛鳥時代に兄弟が隅田川で観音菩薩を見つけ、お寺を作って祀った事が始まりだそうです。現在の大きさになったは平安時代にこの地域を治めた平公雅が 942 年に創建したお寺から。ですが、浅草が本当に栄えるようになったのは徳川家康が江戸を首都に制定した事で、文化的な繁栄を遂げたとの事。
浅草寺で清掃などの作業を行なった地元民が参拝客に商品を販売できる特別許可が与えられた事から仲見世が始まったそうです。
吉原の歓楽街、江戸の歌舞伎街、猿若三座も、浅草に移転し、浅草は娯楽の中心地として栄えるように、様々な演芸場や日本初の映画館が建った六区は娯楽の中心地として今も栄えているとの事。
以上は国土交通省のこちらの文章から抜粋です。
浅草ロックという言葉は知っていたのですが、浅草六区が語源なのですね。昔の風景も見つけました。こんなハイカラな街だったという事を初めて知りました。浅草六区の歴史
文豪、永井荷風、夏目漱石、森鴎外、樋口一葉、芥川龍之介からも愛された浅草、こんな風景が広がっていたのですね。お洒落で賑やかで、演劇に映画に落語と、メディアが集結しているわけで、これは人が集まりますね。
あと同じお寺でも京都のお寺と浅草寺はだいぶ違って、そもそもお寺の門、雷門をくぐって、ちゃんとしたお店がお寺まで両脇に続いているという光景は珍しい気がします。お寺の外にお店が連なる事はありますけど、内側ですよね。
清掃をしていた地元民に特別営業の許可が与えられて・・・というのが浅草ならではの大きな発展のきっかけなのかもしれません。面白いです💡
羽子板きっかけで、ようやく浅草の浅草である所以を知りました。そして羽子板にどう生かそうかという所でどうしようかと😅

