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松尾芭蕉と松平定信の魂の系譜

執筆者の写真: 紙成鳴美
紙成鳴美
9月17日
読了時間: 4分

更新日:9月17日


今日、私は凄い事を発見しました。


まず、こちらは2025年の11月に国立新美術館で展示させて頂いた、松尾芭蕉の言葉「不易流行」を題した作品です。


美術館での展示後に、白河市から絵本制作の打診を頂きましたが、白河とゆかりのある松尾芭蕉が関わるこちらの作品をご覧になってご連絡を頂いたわけではありません。それが逆に不思議でもあります。



そして絵本の視察で松尾芭蕉の銅像にご対面できる事になるとは✨こちらは新幹線の停車駅「新白河駅」です。


松尾芭蕉と言えば、代表作の「奥の細道」


「白河の関越えんと、そぞろ神の物につきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて、取るものも手につかず。」


と奥の細道の序文に書かれています。


白河の関は東北地方、陸奥の道への入り口となる場所でした。




こちらが白河市役所の方と見学で訪れた際の白河の関です。


場所が分からなくなっていた「白河の関」の位置を、文献などによる考証で突き止めて整備した人物は白河藩主の松平定信です。松平定信は先人の松尾芭蕉を深く尊敬していたとの事。



こちらは南湖(なんこ)にある松平定信の像です。白河藩主 松平定信は、大河ドラマべらぼうでも描かれた人物で「寛政の改革」での憎まれが強い描かれ方でしたが、人柄的には文化に深い愛を持った方でした。


身分の分け隔てなく楽しめる日本最古の公園、南湖を作ったり、集古十種(しゅうこじっしゅ)という日本各地の古器物、宝物、絵画、書跡などを分類・模写し、寸法や所在を記した大規模な古文化財図録集を制作したりと、政治的手腕は凄い方だった事がわかります。


ここからが今日、発見した点です。


松平定信のお墓は白河のどこにあるのだろうと思って検索してみたところ、なんと東京の清澄白河の霊巌寺(れいがんじ)という人形町付近から隅田川を渡ったところにありました。


白河藩の松平定信にちなんで東京に白河を付けた地名になったそうです。なぜこのお寺なのかというと、徳川家から養子へ入った久松松平家の菩提寺だからだそうです。


さらにGoogleマップの周辺を見ていて気がついた事。松尾芭蕉が白河へ向かう「奥の細道」へ出発した場所、採荼庵(さいとあん)が松平定信のお墓から300メートルほどしか離れていない所にありました!松尾芭蕉が住んでいた場所にも近い場所です。


松平定信が意図して、好きな松尾芭蕉が居た深川近くにお墓に入る事を選んだわけではないので凄い偶然です。




もう一つ、資料を読んでいて偶然を見つけました。松尾芭蕉の奥の細道に同行した松尾芭蕉の弟子、河合 曾良(かわい そら)は長野県生まれですが、松平定信と同じ家系である三重県で久松松平家に仕えた事がある人物です。こちらも不思議です。


この辺りは何かパワーがあるのでしょうか?東京の白河、行ってみたいと思います!


  • 松尾芭蕉: 1644年誕生 〜 1694年没

  • 松平定信: 1759年誕生 ~ 1829年没


二人の間には65年の間が空いています。場所といい、白河の関を再建したりと松平定信は松尾芭蕉からの転生、生まれ変わりでは?とまで思ってしまいました。


そんな二人の不思議な関係について、ネットには書いてある所がなかったので新たな発見でした。



こちらは白河駅のすぐ側にある小峰城のお祭りに伺った時の動画です。


松平定信の青年期を演じた寺田心くんが映ってます!今、よく見たら先頭にいらっしゃるのはおそらく鈴木市長さんです。市長は歴史にお詳しく、私が持参した父の会津の地図や山川家のお話など、お時間のない中でも熱心に聞いてくださいました。


先月の白河-奥会津のたびえほんの発表会では、白河市から不易流行の作品の展示ご依頼がありここで作品の出番となりました😄 発表会の背景の写真に収まる事になったのも何かの縁かと思います。9月30日までの展示になります。


今回は、松尾芭蕉と、松平定信の不思議な関係について書きましたが、小峰城についての情報も沢山ありますし、白河の関、南湖についても足りていないのでまた改めて別日にご紹介したいと思います😃



 
 
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