松尾芭蕉と伊能忠敬


前記事の続きです😃 白河藩主の松平定信のお墓が白河の関へ向かった松尾芭蕉「奥の細道」の出発点の300mほど近くにあった偶然。
では松尾芭蕉のお墓はどこなのだろうと調べてみたところ、滋賀県の大津市の義仲寺にありました。「私を木曽義仲公の側に葬って欲しい」と本人の希望で埋葬されました。生きていた時代も違うのに尊敬し続けた平安時代末期の武将、木曽義仲の隣に眠っています。
こちらを読んで思い出したのが、伊能忠敬のお墓です。上の写真はお墓のある上野の源空寺です。同じく尊敬する師匠、高橋至時(たかはしよしとき)の側で眠っています。
8月に私の友人が御徒町のギャラリーに出展するとの事で出掛けた際に、そういえば伊能忠敬のお墓が近いのでは?と思い出し立ち寄りました。直系ではないのですが、私の遠いご先祖様との事。やっとお墓参りできました🙏

伊能忠敬先生のお墓です😌🙏

そしてその隣が尊敬する高橋至時(たかはしよしとき)先生のお墓です😌🙏

お墓の前の通りにはスカイツリーがそびえ立っていました。
お二人のように尊敬する人の隣に本人の希望で埋葬された事例は調べた所、そんなに多くはないようです。あと有名な所では太宰治と森鴎外でした。
亡くなった後も自分の想いを形にしたいという強い志、凄い事だと思います。
松尾芭蕉の話に戻りますが、江戸の俳壇の弟子の数を競い合うことに終始していた状況に失望し、日本橋から深川へ移り住みます。
紀行文はすべて死後に刊行された。侘び・さび・細み”の精神、“匂ひ・うつり・響き”といった嗅覚・視覚・聴覚を駆使した文章表現、そして「不易流行」「軽み」。
詳しくはこちら。大阪にある松尾芭蕉のお墓の記事です。(芭蕉を慕う人達の元、大阪にもお墓(記念碑)が立てられました)
こちらの記事を読んでいたところ、また松尾芭蕉と伊能忠敬の共通点を見つけました。
大阪の松尾芭蕉のお墓(記念碑)がある一つ、浄春寺 夕陽苑(じょうしゅんじ せきようえん)には実測日本地図を作製した伊能忠敬に繋がる「高橋至時」や、緒方洪庵や伊能忠敬らを輩出する礎となった、蘭学・医学・天文学など上方の先駆者達(「麻田剛立翁」など)のお墓があるそうです。
麻田剛立翁(あさだ ごうりゅう)また凄い方がいたのですね!
ところで急遽、明日に白河市の個展にお客様がいらっしゃるとの事で私も白河市へ向かう事になりました🚅 楽しみです!また松尾芭蕉の銅像にご対面できます😃

