會津藩校日新館

白河の帰りには会津若松方面へも立ち寄って、会津について学び旅をしてみました。こちらは會津藩校日新館です。
福島県の会津藩が創設した、江戸時代最高峰の規模と教育水準を誇る武士のための藩校(学校)です。
10月2日、澄み渡る青空。動画は明るさも何も調整せずなので、絵に描いたような青空でした。東京は長雨続きの1ヶ月だったのでそれだけでテンションが上がります。

一番最初は大きな獅子がお出迎えです。最初の動画にもあったように、門の両側も獅子でした。今までみた事がないのですが、白河市は狛犬が盛んですし、会津は獅子や狛犬に古くから何か関係があるのでしょうか??
日新館は本来は鶴ヶ城のそばにあったのですが、戊辰戦争で焼け落ちてしまい、昭和62年に約8キロ離れた山の方に造られました。

ブログで前々からお伝えしている、叔父の先祖の一人である山川健次郎の銅像が門の前に。
日新館の元は会津藩の基盤を築いた保科正之(ほしなまさゆき)の教育理念です。教育と産業の振興を重視した田中玄宰(たなかはるなか)が日新館の創設を進言したとの事で、教育に力を入れてきた会津藩の結果が全国にも良い影響を及ぼしたのですね。
江戸時代の徳川幕府は社会秩序のために朱子学(儒教の学問)を重んじていたため、全国の藩校にはこのような孔子を祀るお堂が建てられていたそうです。日新館は大成殿という名称です。

九谷焼が立派です!

弓道場や教室も広く再現されていました。
赤トンボをしみじみ見たのも久しぶり・・・

こちらは場所が変わりまして、会津藩の白虎隊の最期の地、飯盛山です。白虎隊は日新館で学んでいた少年達です。
白虎隊の武士道に憧れ、白虎隊のお墓のすぐ近くに眠るドイツ人学者、ハイゼ父子夫妻のお墓もありました。ここにも憧れの人の近くに眠る方が・・・
日新館でもヨーロッパ系の若者が一人で展示を見て回っていました。
こちらのドイツ人学者のように、武士道に惹かれて一人でも見学にいらっしゃったのだろうなと思います。とても熱心に展示をご覧になってました。

こちらは同じく白虎隊のお墓のそばに建てられたローマ市から白虎隊へ敬意の印として
寄贈の碑です。白虎隊の精神は日本的美学でもあり悲劇でもありますが、海外でも同じように敬意を持って来られるのですね。

あと今回の旅では不思議な事がありました。白河へ向かう際に、新幹線乗車前に購入したコーヒーの呼び出し番号が0111。次にこの日は娘の友達から期限が30日のスタバのオンラインチケットが使い切れないからと2杯分頂いたのですが、交換が夜になってしまったのでデカフェにして2杯、ホテルへ持ち帰りました。そのレシートを見たら合計1111円。そして部屋について部屋番を見たら1116!ブログでお馴染みの奇遇な数字、116‼️ 1が10個並んでの6! 京都と会津は深い繋がりがあるので、福島へ行った時に出現するのも何か意味がありそう🤔
そして昨日、小峰城で頂いた資料のアドレスにも116を発見しました。この日は私の誕生日でしたし、こうして色々な方のご縁と働きかけで何かに繋がっていくのだなあ・・・と改めて不思議な出来事でした。




