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戊辰戦争と黒門

  • 執筆者の写真: 紙成鳴美
    紙成鳴美
  • 1月28日
  • 読了時間: 2分

更新日:1月29日



山川家を知る上で、まずは1868年〜戊辰戦争から。私には教科書で習った遠い記憶しかないので検索してみました。


明治政府と旧幕府軍と1年半続いた過去一大きな内紛だったとの事。主な場所は京都、江戸、新潟、福島、北海道ですが、東京は上野寛永寺と知った場所でしたので、まずは検索してみました。


こちらのイラストはボストンミュージアム所蔵の「本能寺合戦の図」の浮世絵ですが、検閲を逃れるために本当は違う名目で実際は上野寛永寺の戦争が描かれているそうです。検閲されていたんですね・・・


本能寺とえばですが、大河ドラマ「八重の桜」の主人公八重は戊辰戦争の後に、京都に移り住み、山川二葉と再開し交流を続けていたとの事。その八重が住んでいた住所をマップで調べてみた所、本能寺の隣でした。石碑には気が付かずでしたが、私も2024年に本能寺へ行く際に通ってますね。


山川健次郎の奥さんの家系が織田信長の丹羽長秀(にわながひで)と繋がっていますし、何か織田家との縁があるのか不思議です。


そして浮世絵の右側にあるのが黒門です。その戦果の後は現在では実物は荒川区南千住の円通寺に残されているとの事です。


上野公園には黒門の歴史を残す象徴として作られた、黒門を模した噴水があるそうです。こちらの方のnoteで写真を見つけました。こちらの噴水には気がついた事がなかったので今度探してみたいと思います。




黒門繋がりですが、こちらは2022年に私が撮影した寛永寺の近くの祖母が卒業した黒門小学校の門です。


あとこちらの歌川芳盛が描いた浮世絵ですが、中央のお寺は形状からも1856年に歌川広重が描いたのと同じ、たぶん京都の清水寺を模した清水堂ですね。戦争の絵では月の松は描かれてません。


月の松が一度台風でだめになったのが1887年との事なので、この時はあったはず・・・流石に戦争中の絵には描かなかったのかも?そして同じ歌川でも二人に接点はなかったようです。


色々なドットとドットが繋がるようで不思議な気もします。引き続き調べてみたいと思います😄





 
 
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