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京橋

  • 執筆者の写真: 紙成鳴美
    紙成鳴美
  • 2024年7月9日
  • 読了時間: 2分

更新日:4月12日



何か色々と上野の歌川広重から京橋へと縁が繋がっているので、これは京橋の跡地に行ってみた方がいいのかも!と思い、ちょうど今日は銀座へ行く用事があったので、帰りに京橋と歌川広重住居跡地へ立ち寄ってみました。


立て看板の説明によると京橋は1603年に日本橋と同時期に架けられて、1875年に石造りのアーチ橋に架け替えられ、最終的には昭和38年、川自体が埋め立てられました。こちらの柱は江戸時代の擬宝珠(ぎぼし)の伝統を引き継いだ形なのだそう。



信号を渡って交番横にある柱は、生い茂る木の中なので手で枝をおさえて撮りました。


また驚いたですが、こちらの柱の横の高架下にかつてお店があった会社に、新卒の時に内定を頂いていたんです。


こちらは大正時代の京橋。ずいぶんヨーロッパ調の建物が並んでいたのですね。



こちらは八重洲口から旧ブリジストン美術館の横を入ってすぐの光景です。こちらのトラックの横に、歌川広重の住居跡を示すものがありました。



工事中なので、看板の写真が貼ってある状態です。


まず気になるのが、「にぎわいとうるおいのあるまち 中央区」というコピー。にぎわいは分かるのですが、うるおいって湿気??と思い、うるおいの意味を検索したら「金銭的な余裕」とも出てきて、確かに・・さすが中央区・・・と思いました。



看板の部分を撮った写真です。火消しの家業の家に生まれ、のちに浮世絵師となる説明が書かれています。通勤していた時は気が付かず、やっと認識できた歌川広重の世界。


現場の建築計画のお知らせに、(仮)TODAビル計画、事務所、美術館、飲食店などと出ていたので、歌川広重の跡地だけに作品が常設展示される?といいなと思います。

 
 
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