top of page

松平定信と渋沢栄一

執筆者の写真: 紙成鳴美
紙成鳴美
9月28日
読了時間: 3分

先日は松平定信が尊敬する松尾芭蕉 そして松尾芭蕉が尊敬する高橋至時(たかはしよしとき)について書きましたが、23日に白河かんこうステーションにお伺いした時に見つけたこちらのパンフレット。


渋沢栄一が松平定信を敬愛し、松平定信を祀る、南湖神社に多額の寄付までもしたお話です。



こちらが南湖神社です🙏



昔は大名の庭園はあっても、一般人のための公園はありませんでした。松平定信は、武士や庶民が分け隔てなく楽しめるようにと日本初の公園、南湖公園を作りました。それは白河藩民の仕事を作る、公共の救済事業でもありました。


松平定信が詠んだ和歌


山水の 高きひきき(低き)も隔てなく 共に楽しき円居(まどい)すらしも


またストレートに心に響く良い歌です。



現在も憩いの場所、そして観光地でもある南湖。こちらは桜の季節に訪れた時の写真です。



桜の時期には買えなかった名物の南湖だんご。先日は購入できました!この包装紙のデザインがなんともいいですね🌸


松平定信の寛政の改革前は、武士の世界は賄賂とコネによる出世が横行し、一方で農村では貧富の差が激しくなり、没落する貧農が続出し手余地・荒地が広がり、天明の大飢饉には農民が離村したとの事で、寛政の改革を検索して読んでいると現代にも参考になるような凄い政治家だったのだなあと思いました。


そもそも天明の大飢饉の原因は?と思い調べてみると、浅間山の大噴火により大量の火山灰が放出され、日光が遮られて深刻な冷害と天候不順を引き起こした事。そして異常気象:冷夏、長雨、旱魃(かんばつ)などが重なり、全国的な大凶作となったとの事で、こちらも何か現在と重なるような😰 そんな後の改革はどれだけ大変だったかと思いますが、白河藩での松平定信の采配が素晴らしく、自ら莫大な借金を背負ってまで江戸から食料や日用品を買い集め、不眠不休の輸送体制を指示。米の調達まで、結果的に白河藩では餓死者を出さずに済んだとの事。


大河ドラマべらぼうを見ていると、蔦屋重三郎の視点で松平定信の倹約の厳しさだけを見てしまいますが、地方での農家の惨状を間近に見て改革をしていた松平定信を考えるとまた違った見方ができました。農民の事を想う優しい方だったのかなと思います。福祉活動や文化活動も積極的で渋沢栄一が敬愛していたのも納得の方でした。


それにしても、人生を通して敬愛する人物が心にいる方はそもそも人間愛が強いといいますか、志が自然と高くなって本人も偉人になるのかもしれませんね。


あと白河から帰宅後に、大河ドラマ「八重の桜」に出演した綾瀬はるかさんと西島秀俊さんが植樹した桜「はるか」が南湖にはあるという記事が上がってきました。翌日とは残念💦見たかったです🌸


検索したらその時の画像がアップされたブログがありました。鈴木市長も一緒ですね😆


 
 
bottom of page