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ヤン・ヨーステン

  • 執筆者の写真: 紙成鳴美
    紙成鳴美
  • 7月1日
  • 読了時間: 3分

昨日の続きですが、日本橋エリアで立て続けに不思議なご縁があったので、何か壮大な物語でも隠されているのでは!?と期待して気になる周辺の古地図を探してみたところ、日本版Map Warperなるサイトを発見しました。


地理空間情報の開発者・コンサルタントである Tim Waters 氏が開発したWEBベース・ジオリファレンスツールの普及を図るため、科学研究費助成事業の助成を受けて日本語に対応した Map Warper を開発し、ここに公開しています。との事。


全て無料でエクスポートできるそうです。



操作して表示されるまでに時間がかかりますが、今回は江戸切り絵図を選んでプレビューのタグを選択して目的の地図を拡大していくと現在の地図に古地図が重ねられた状態になります。下のバーで透過率を操作することで、古い地図が半透明になり現地図とを照合しながら参照する事ができます。


上記のように古地図の透過を0にした場合は現在の地図のみが表示されます。


このように透過度100までカーソルを右に移動すると古地図のみ表示されます。便利ですね!凄いサービスです。


気になる場所ですが、古地図の住所だけ見ても何か思い当たるわけはないですねえ😅まずは、東京駅八重洲前は水路だったのは驚きでした。あと父と母が独身の時に別々の場所で同じ町名だったという小松町があるのはちょっと気になりましたが、何があったかまでは分かりません。


でも検索したおかげで新事実を知る事が出来ました。八重洲という名前はオランダ人の名前だったという事です!下記は抜粋ですので詳細はこちらをご参考に。


オランダの朱印船貿易家ヤン・ヨーステンは太平洋横断中に遭難。


1600年豊後臼杵湾(ぶんごうすきわん:大分県)の佐志生 (さしう) に漂着すると言う事態に遭遇します。ヤン・ヨーステンは徳川家康の招きで江戸に出て、ウィリアス・アダムズとともに家康の外交・貿易の顧問となり、世界情勢の説明などにあたる事となりました。


ヤン・ヨーステンは家康から屋敷を与えられました。

ヤン・ヨーステンは「ヤンヨウス」「ヤヨウス」等と呼ばれ「耶揚子(耶楊子)」などの漢字があてられたことから屋敷周辺は「やよす」と呼ばれるようになりました。

これが訛って「八重洲」となったと言うわけです。


現在、八重洲の街では「ヤン・ヨーステン記念像」「ヤン・ヨーステン記念碑」を見る事が出来ます。


昔、私は東京駅の八重洲口から出て何年も京橋へ通勤していたのですが、そんな歴史を知る事もなく、銅像まであるのも知りませんでした💧八重洲は外交顧問のオランダ人の屋敷があった場所という事ですね。


同じ場所で丁髷と着物姿の人々が行き来していた江戸時代があった事が不思議というか、200年前ぐらいでしょうか?短期的にずいぶん変わったのですね😃

 
 
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